2013年5月末に胃の2分の1を占めるスキルス胃癌と告知されたが、胃の摘出手術や抗がん剤治療をしないことを選択。その後の人生に起こっている事を書きとめています。

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ご報告



みなさんこんばんは。

美保(ツチノウツワ)の娘です。


母は8月1日午後8時半ごろ、
自宅で静かに息を引き取りました。

ご報告が遅くなり申し訳ありません。
これから綴る文章は父からの文章です。
長文ですが、読んでいただけると嬉しいです。


From Miho's Husband

Being diagnosed with Cancer in May of 2013 and given a prognosis that at such an advanced state that even with operations she could not be offered much more time in this world, Miho embarked upon a journey. She was convinced that with a regimented diet and lifestyle she could at least enhance the quality of her remaining life hopefully allowing her more precious time with her family.

Miho told us her family of her plan to take matters into her own hands. With tears and mixed feelings we knew that when determined she is not to be dissuaded. She knew there would be various reactions from each of us as to what she should do but made it clear from the start that it was her life and that she was firm in her resolve.

We chose to stand by her and vowed to support her effort in whatever way that we could. From the beginning we watched and learned the discipline that was applied as my wife and mother to my five children became a student of all things related to living with cancer. From following this blog for over the last two years you have witnessed the many applications of all that she learned. Living with Miho and seeing first hand her daily determination to awake each day and follow methodically and unwaveringly each set of plans inspired us. We were inspired as we learned from her example that given any obstacle in life we would always have a choice to face it with courage and even with passion or to surrender and resign ourselves to it’s dictates.

She stood strong until the end never complaining about her plight but taking each day as a challenge. Even as she weakened during her final days in bed, with joy she entertained her continual procession of friends who came to bid her farewell.

Miho has left an indelible memory in our minds of not only a mother who diligently attended to raising our five beautiful children but a person who joyfully marched through life focusing always on each challenge in front of her. In the end when her job as a mother was complete, she then showed us how to face that last challenge of dying with dignity and even joy.

Somehow we know that she is still with us and will always be a guiding help.








和訳



2013年5月に癌宣告を受け
手術をしてもあまり長くは生きられないだろうと医師の診断があり、美保の新しい旅がスタートしました。


彼女は、規則正しい食事と生活で少しはより良い状態で残りの人生を大切な家族たちと過ごせると確信していました。


彼女は私たち家族に、この癌の責任は自分で持つことを打ち明けました。
複雑な感情がありましたが、彼女が一度強く決めた決意は、説得して変えられるものではないと分かっていました。
彼女はみんなから賛否両論がくることは分かってましたが、自分の人生なんだと既に硬い決心がありました。

私たち家族はそばで彼女を支えることを決心し、どんな形であろうと、彼女の努力をサポートする事を誓いました。

私の妻であり5人の子供達の母である彼女に与えられた試練を一番最初から見ていて
彼女は癌と共に生きるという事を学ぶ人となっていたと感じました。
この2年間、美保のブログをみていて
読者はきっと彼女が経験したたくさんの奇跡や物事を目撃したことでしょう。
共に生活する中で、彼女が断固たる決心をもって整然と一日一日を生きていくのを見ていて、私達は自信をもらいました。
彼女が私たちに教えてくれたことは、例え人生でどんな壁にぶつかっても、勇気や時には情熱で立ち向かうこと、あるいは自然に身を任せるもできること、常に選択肢があるということです。

彼女は最期まで自分の状況に嘆くことなく、一日一日を一生懸命生きました。
たとえ弱くなってベッドから動けなくなった最後の数日間も、美保に最期のお別れを言いに来てくれた沢山の友達や家族を楽しませました。

5人の子供達を一生懸命に育てた母親としてだけではなく、常に前向きに明るく壁にぶつかっても常にチャレンジしていた人としても彼女は私たちのなかにいつまでも残る記憶を残してくれました。
彼女が母としての仕事を全て終えた時、彼女は私たちに尊厳と喜びをもって死ぬことを最後に教えてくれました。

彼女は今でも私達のそばにいて、いつまでも私達を見守っている。




親愛なる美保の夫より





最後に
本ブログを読んで下さった皆様
母に励ましの言葉をくれた方々、応援して頂いた方々には
深く感謝申し上げます。

母も皆様のコメントには
大変励まされたことと思います。

母がブログで書いた経験や言葉が誰かの役に立つ日が来ることを
願っています。
本当にありがとうございました。

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暑中お見舞い申し上げます。

こちらは北部九州。
梅雨明け宣言は曖昧なまま…。

みなさま、熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さい。

なんとか今日を生き抜くことに集中しています。






サプライズ

臨月に入った長女が私に会いに来てくれた。
新幹線に5時間も揺られて。

東京に住む三女が付き添って、昨夜到着していたらしいが、時間が遅かったので次女の家に泊まったらしい。

長女の元気な姿を見、大きく成長した臨月のお腹をさすったら、涙が出てきた。
ただ会いたかった。

みんなありがとう。






ただ生きる

最後に外に出たのは7月9日だった。
その後、自力で動く力が急激になくなり、自宅の中だけで過ごしている。

自力で外出できなくなったら、どんなに悲しいだろうかと以前は想像していたが、そんなことは全然なかった。
今、ほとんどベッドに横たわったまま1日を過ごしているが、こんなふうに毎日自宅で過ごすの決して悪くない。
陽が射してくると始まる蝉の合唱や、時折降る雨の音や蛙の鳴き声を聞くだけでも十分に季節を感じる。
それに毎日誰かが訪ねて来てくれる。

私に与えられている課題は、与えられた新しい1日を、ただ生きるということだけだ。
それもこの部屋の中で…。
単純だ。
動けない私にできることは限られている。

日によって、痛みがあったり吐気があったり、身体の状態は日々違っている。
毎日与えられた課題に取り組みながら、1日を過ごす。
ただそれだけだ。

胃の病巣はかなり大きく堅くなっていて、食べ物が胃に入ると苦しみが増すだけのようなので、最近は飲み物以外は口にできなくなった。

ポカリスエット100ccを1日3回と、乳酸菌飲料65mgを1本飲むくいが私の食料だ。
そして1日置きに250ml点滴、鉄剤の静脈注射を毎日受けている。

自宅に酸素濃縮装置を置いてもらってから、息切れの苦しさはずいぶん軽減した。
ありがたい。

私は今とても恵まれた環境にいる。
感謝しかない。


たくさんの励ましのコメントもありがとうございます。






7月13日からのこと

《7月13日月曜日》

姉と妹の訪問あり。
訪問看護師さんが鉄の静脈注射のために訪問した。

娘がマタニティのレギンスを買ってきてくれた。
もともと痩せ体型の私は、服がSサイズなので、今まで愛用していたパジャマでは横になっていてもお腹周りが締め付けられて苦しくなってきた。
腹水が溜まっているからだ。
腹水の量は日々変わるので、サイズも日々違っている。
マタニティウェアは、お腹を締め付けない作りになっているので今の私に最適だった。
私の悩みはすぐに解決できた。

午前中から午後の早い時間帯は気分がよかったが、夕方近くなると、だんだんと苦しくなった。
夜になると息苦しさが増し、少し身体を動かしただけで、心臓がバクバクした。
酸素を吸いたいと感じた。


《7月14日火曜日》

看護師さん2人が訪問した。

看護師さん達の訪問時に、私が起き上がって玄関を開けなくていいように、外にキーボックスを設置してもらった。

点滴をしている間、浮腫みのある足のアロマオイルマッサージを受けた。
気分が落ち着いた。

点滴は時間がかかるので、点滴が終わった後の針を抜く行為は、家人がすることもあるらしい。
ちょうど夫が在宅していたので、夫が針の抜き方を教えてもらった。

いつものことだが、夕方になると息苦しさが増した。


《7月15日水曜日》

午後からドクターと看護師の訪問。
ほんの少し身体を動かしただけで息切れが激しくてとても苦しいことを伝える。
在宅酸素療法を取り入れることになり、ドクターはその場で業者に連絡して機器の手配をしてくれた。
30分後には自宅に酸素濃縮装置と停電時用の酸素ボンベが運び込まれて、鼻カニューラを装着した。
自宅の中で自由に移動できるように、チューブは長くなっているので、装着したままトイレやキッチンに行ったりできる。
便利だ。

酸素濃縮装置とボンベの使い方の説明を受けた。
使い方は簡単で、鼻に着ける鼻カニューラもゴムで柔らかくできているので、それほど違和感もなかった。
酸素を吸い始めたからといって、急に劇的な変化は起こらないが、患者さんはみな、酸素を使うのと使わないのとでは大きな違いがあると言うと業者さんは言っていた。
私も装着してすぐには特に何も変化は感じなかった。

装着したまま就寝しても特に問題ないということなので、そのまま眠ってみることにした。

腹部の痛みが増しているように感じた。


《7月16日》

目覚めてすぐ、立ち上がってリビングまで歩いてみた。
昨日まではほんの少しの動きで息切れし、心臓がバクバク鳴って苦しかったが、今朝はそれがなかった。
筋力が少ないので動きはゆっくりだが、苦しみをあまり感じることなくリビングの椅子までたどり着けた。
ありがたかった。

ここ数日でお腹の痛みは強くなってきている。

看護師さんの訪問時に痛みについて話し合った。
貼付薬のフェントステープ2mgを3mgに増やした方がいいということになり、夕方から増量した。
夕方は胃の周りに引きつるような痛みが出て、なかなか解消しなかった。
インテバン座薬とアブストラル舌下錠を併用して、22時頃に痛みを抑えることができた。

ここ1週間ほどは、めまぐるしく毎日状況が変わったが、支えてくれるプロの方々のおかげで何とか乗り切っている。
皆さんに感謝したい。







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